教えることに優越感を覚える、偽物コーチにご用心

先日、練習場で、熱心にゴルフスイングを指導している方を見かけた。

外見やファッションはとてもベテランの風貌である。

しかしその指導風景には、とても奇妙な点があった。

奇妙な指導風景

その方は、知り合いであると思われるアマチュアゴルファーに熱心に指導をしていた。

私は4つほど離れたレンジにいたため声は聞こえないが、その方の身振りや手ぶりから、どのような内容を伝えていたかはおおよそ見当がついた。

見ていると、スイング正面に立ち、腰の動きを自ら行って見せて指導したり、膝の動きを指導したり、はたまた、後ろに回って腰を支えたりと、ほぼ付きっ切りで指導されていた。

しかし、奇妙な点があった。

この方、一発もご自身で球を打たないのである。

というか、クラブすら持っていない。

どういうことなのだろう。

自分自身がボールを打たずして、レッスンができるものなのだろうか?

誤ったスイングを教わった人の不幸

結論から言おう。

この方の指導は、めちゃくちゃだ。

インパクトにかけて大きく体をスライドさせる、よくありがちな悪い形を一生懸命教えていた。

そして、その教えを受けた「生徒」さんは、その通りに一生懸命スライドしてスイングをしていた。

結果は言わずもがなである。

ドライバーにもかかわらず、180ヤードほど先のネットにようやく届くかどうか、という弱々しいボールが放たれていたのである。

人に教えるのは当然良いことだ。

しかし、間違いを教えてはいけない。

もう少しいうと、自分ができもしないことを教えてはいけない。

それは、教えているのではない。

騙しているのだ。

こういう人は大抵、教えることに「優越感」を覚えている。

だから、とても熱心に教える。

そして、感謝されることを喜びとする。

たちが悪い。

こういう人に誤ったスイングを教わった人は不幸だ。

間違いから立ち直るにはまず、間違いに気づく必要があるが、気づくきっかけがないと、いつまでたっても気づかない。

そして気づいたとしても、誤った動きを体から消し去り、正しい動きをインプットし直すには、かなりの時間を必要とする。

見極めること

教わる前には、その人のスイングをよく観察し、教わるだけの技量を持った人かどうかをしっかり見極めることだ。

スイングすらしない人などは、全くの論外。

偽物のコーチにはご用心。

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